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終わりの方に

石橋です。
取材はそう悪くなかった気がしながら、まとめを手伝いながらやばいなぁと思いました。
すかすかした感じがあったんですよね。

個人的には、カメラ中心で取材らしい取材ができなかったのが残念です。
他にももっとネタはあったはずなのに。

僕の書いた記事はアンカー、佐藤選手についてのものです。
両方ともゴールしか知らないので、ゴールでカメラをかまえていた時に、「ラストー」の声で振り返ると笑顔の幸田さんがいたシーンが印象的だったので、それを絡めて書きました。

どっちかというと駅伝の解説記事だなぁと思います。でも、佐藤さんが駅伝の魅力を語ったところは大好きです。

◎編集委員へキャンパる
◎トップ
◎箱根駅伝 佐藤選手


 復路、20番目のゴールは明治大だった。10区の佐藤慈さん(4年)の姿が見えた。沿道が暖かく、力づける様に声援を送る。その時佐藤さんは「みんなの声が聞こえて、やっと着いたか、無事に襷を運んで来れた」と思ったという。
 神奈川・大磯高校の出身。高校から陸上を始め、明治大を選んだのは浪人中に、予選会9位のニュースを聞き、これからのチームで力を付けたいと思ったからだった。
 今回のメンバー唯一の4年生。明治の変化を全て見てきた。一昨年、西コーチの着任で、日常の生活が重視されるようになった。朝練に出ないような、やる気のない部員は辞めていった。
 それまでの「頑張るのはバカ」という感じの重苦しい空気が変わり、学連選抜に先輩の重成英彰さん(現:中国電力)が選ばれ、箱根駅伝は少し身近になったものの、予選会のチーム順位は、なかなか上がらなかった。
 それでも順調にチームは成長。次々スポーツ推薦で入ってくる後輩の方がタイムがいい。そんな中、今の4年生は「練習で引っ張れない分、他の所で」と決めた。
 聞いてみると、何人もの後輩が「競技の目標は幸田さん、生活の目標は佐藤さん」と答えていた。幸田さんは「佐藤さんあっての競走部」と言う。幸田さんは「師匠」と佐藤さんを呼ぶ。もちろん半分は冗談、しかし、身近で尊敬できる先輩なのは間違いない。
 佐藤さんは「そんなことはない」というが、選手だけのミーティングなどで、結束を固め、チームの状況を話し合った。その旗振り役だった。
 その4年生全体のがんばりが、今の明治大競走部を作った。自由な雰囲気と競技へのストイックさ。一般入試もスポーツ推薦も関係なしの温かい人間関係。それぞれが自分の良さでチームに貢献する。力以外のたくさんの要素も勝負を決める。
 「佐藤さん、ラスト!」笑顔で迎えるのは、2区を走った幸田さん、そしてキャプテンの入山さん。
 入山さんは、10区にエントリーされ、当日変更で佐藤さんと変わった。佐藤さんは「俺が走った方が良かったんじゃないかっていう走りはしたくないなって思ったのに、その通りの走りになった。申し訳ないよね」と、悔しさをにじませた。
 駅伝の魅力は?「駅伝って襷が全員つながってきて、ちょっと不思議な感じがする。普通のレースでは諦めることもあるけど、それができないっていうのが駅伝」
 大学で競技は辞めて就職する。「初めての経験みたいなものだから、僕らが礎になって、どんどん強くなっていって欲しい」10人の汗がしみこんだ襷が、来年につながっていった。
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by campal-hakone | 2005-01-22 17:54

情報提供♪

読者のみなさま こんにちは加藤です。

さて箱根駅伝が終わり早三週間ですね。
来る23日(日)都道府県対抗男子駅伝が開催されます。
われらが明治大学からは、1区を走った岡本選手が地元鳥取県からエントリーされています。
どうも補欠のようですが、見守りましょう。
NHKで昼ごろ中継されます。

さてこの駅伝には箱根を沸かせた、中央の上野選手、MVPの今井選手をはじめとする選手もエントリーされてます。来年の箱根駅伝に登場してきそうな有力高校生も続々登場!
自分の出身県と合わせて応援しましょ。
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by campal-hakone | 2005-01-21 23:49

ボツ記事供養コーナー


キャンパる入って原稿書いてこれで5回目。
キーボードを打つ手がだんだんと鈍くなるのを感じました。ほんとに。
気がついたら朝日が迎えて…
レポートも出さなきゃいけないのに締め切りすぎたら記事が・・・
とかいろんなことに追い詰められてました。
なんでしょうね。

この努力って無駄なんだろうけど
いろいろ反省しなきゃいけない。
ようするに俺にとっては全て、「失敗」です。
誰かに諭されたり、慰められたりして
この経験をやわらげたくありません。
俺に、非があったこと。そして取材班にも、非があったこと。
いいとこもあったこと。全て、脳裏に焼きつけ、忘れません。
リメンバーハコネです。

具体的には、
俺がたくさん本番芦ノ湖でコメントをとったり
ゴール後おっかけたり、動きすぎてたし
それはそれでいいとしても、自分の原稿を1月7日まで間に合わせて
編集作業と同時に自分の原稿を書くのは避けるべきだった。
もし、1月7日までに自分の原稿をかけてたら、たぶん編集の際
客観的にみることができたし。たらればですけど。とりあえず言わせてください。

はじめ全員の原稿をみたとき、この原稿内容薄いなと思ってしまいました
2本くらいは、いいのがあったけど、ほんとはみんな、もっと長く書いてくれるもんだと思ってて。
どうしよう俺が書いてみるかっていう考えがでてきて。
下川さんがその原稿をまとめると、ああなって。さすがプロは違うと思います。
自分の力が不足してたのはわかります。でもやっぱ一発OKで紙面を作りたかった。
そうするには、いろんなことを直さなきゃいけなかったんですけど
どうしてこうなったか。それは明確にはわかりません
まとめる際に、多少手こずりましたけど取材終わったときは
いい記事できそうだなって思ってました。みんな充実した顔をしていたし
それがダメだったのは、やっぱ俺のせいかなって思います。
人の話をよく聞いて、ちゃんと考えて。聞いて。意見して。
基本的なことですね。取材班の情報の共有ができなかったのは俺の責任です
やろうとはしましたけど成功はしませんでした。自分で全てやろうとしてました。

あーだこーだいいましたけど
ただひとついえるのは、明大の選手、いい人たちばっかだったのに
自分たちが感じたこととか、全然伝わらなくて
ハコネの、醍醐味や、選手の必死さ、背中にしょっているもの
少し伝わったんでしょうか?わからないです。納得いかなすぎて。
胸糞悪いこといってすみません


最後に、俺が書いた原稿。全部です。長くてすみません

◎編集委員へキャンパる
◎明治大学競走部密着取材
◎明治大学のアンカー10区佐藤滋(4年)はビルの谷間風が吹き荒れる中、長い旅路を終えたかのようにゆっくりとゴールラインを横切った。顔を真っ赤にして、苦悶の表情を浮かべている佐藤を、屈託のない笑顔でエースの幸田高明(2年)とキャプテンの入山卓司(4年)は迎えた。シャッターを切る報道陣に囲まれる中、両脇の二人に抱えられながらゆっくりと用意されたシートに横たわる。力が手や足に入らず、靴やたすきを後輩たちが脱がした。総合18位。11時間28分23秒続いた明治大学競走部の箱根駅伝はここに終わった。

一日目
◆大手町→鶴見中継所 
◎往路1区の大手町は岡本直己(2年)が走った。日々は閑静なオフィス街である大手町も、この2日間だけは特別になる。騒がしい応援団と数々の大学の旗。ものすごい観衆があふれる中、定刻8時00分に選手は一斉にスタートした。「位置について」。審判員のコールがかかると「頑張れよー!行け!」など観客から怒号が響く。
 「ドン」。銃声とともに怒号はさらにヒートアップする。スタート直後に岡本は肩を隣の選手に接触した。グラっと体勢を崩すがそのまま体を持ち上げて隣をみもせずにコーナーを曲がっていった。 
 岡本は、特にやろうと思って陸上を始めたわけではないという。鳥取県由良育英高校を経て明大に入った。「これからくるチーム」ということを聞いて入学を決意。「今では走ることしかできず大学の授業もついていけてない。陸上しか他に誇れるものがないので将来は実業団に入りたいです」。1区を走ったのは自分から立候補してとの事、試合前は「1区が好き。前に誰もいない状況でたすきを渡したい」と語ったが結果は16位。「緊張はしていなかったが今回のレースは自分に力がないことがよく分かったレースだった」と振り返った。
 去年の春、右ひざじん帯をケガをして陸上をやめようかと思ったという。「鳥取からわざわざ上京したのだから帰れない。もう1回踏ん張ろう」と決意し現在は立派な明大の主力になった。西弘美コーチ(52)からも「派手な選手。競技にまっすぐだ」と賞賛される。
◆鶴見中継所→戸塚中継所
◎往路2区は幸田高明(3年)が走った。チーム内で誰もが認めるエースだ。競技に対する姿勢は誰よりも熱心で、尊敬されている。チームで一番速い幸田は16位から12位まで順位を上げた。権太坂で4人を抜いたのにもかかわらず、「俺がもっと上(の順位)に持っていかなくてはいけなかったのに」と悔しさを見せていた。陸上は、幼稚園のとき父親が根性を叩きなおすために走らされたのを覚えているという。中学のとき柔道部に入りたかったが坊主がいやで、かわいい先輩がいる陸上部に。明大には西コーチの「一からチームを作ってみないか」という言葉に熱意を感じ入部した。応援にきた幸田さんの母親も、「西コーチについてきてよかったです」と言った。
◆戸塚中継所→平塚中継所
◎3区は田中文昭(2年)。全国高校駅伝でも有名な西脇工業高校の出身だ。有名高校で練習していたのだが、今の明治では、優勝することが喜びでなく目標を上げていくのが楽しいと語る。今期はずっとケガで走ることすらできなかった。マネージャーの蒲佐知子さんはその時のことをこう話す、「1月にケガをして、みんなが走って練習しているとき、歩いているだけの姿をみたらヘタに声もかけられなかった。本人が一番つらかったと思う。見ていられなかったですね」。約半年間走れなかったことに投げだしたくなったことは何度もあっただろう。田中は弱みを一切見せなかった。箱根駅伝前日まで風邪だったという。「頼むぞ!」と14位でたすきを渡した。終わったあと「全然ダメでした、次しっかりやり直します」と笑顔で語ってくれた。
◆平塚中継所→小田原中継所
◎「頼むぞ!」と4区の池邊稔(2年)は田中にかけられたのと同じ言葉で14位で襷を託したあと、うつぶせになって泣き崩れた。「せっかく応援していただいたのに、ふがいない」。走り終えた後そう言った。
 緊張しすぎて、ユニフォームのMの文字を押さえるげんかつぎも忘れてしまった。初めは前の選手についていこうと思ったが、思うように体が動かない。沿道にそり立つ数々の明治大学の旗にとても励まされ、走りきった。
 辞めようかなと思う時もあった。ねんざやケガで調子が崩れて、走りと気持ちが噛み合わない。「箱根駅伝に出るために入ったのに、辞めるかもしれない」。そう友達に告げたら「俺を陸上に誘ったのだからやめるな」と止めてくれた。箱根に出るために大学に来ている。その気持ちを思いだした。普段は先輩たちから「面白いやつ」。愛情の裏返しから「子供」と言われる池邊さん。サングラスをかけて走る姿は大人の表情だった。
◆小田原中継所→芦ノ湖  
◎5区は尾籠浩孝(2年)が走った。最後のカーブを曲がった後、大観衆が渦巻く中16位で往路ゴールの芦ノ湖に到着した。少しうなだれた表情で尾籠は、ゆっくりと2歩ほど進んだ。落ち着いてコースを振り返り、深々と一礼をした。天を見上げる。ゆっくりゴールから去ると、人だかりが凄いはずだが、尾籠が通ろうとするとスーッと道が開けた。まるで選手を送る花道のように、その中の観衆たちから拍手が巻き起こった。「よくやった、ありがとう!」「頑張った明治!」。
 終わった後、「緊張はしていなかったが、力は足りず、自分は甘かった。箱根の中では速くないことを思い知った。基本的な走力が足りない」と悔しそうな表情を見せて語った。
 中学生のとき、「かっこわるいからやめとけ」と父から陸上部に入るのを反対された。小学校の時走るのが遅かったからだ。応援にかけつけた父親の尾籠憲一は、「順調に育ってくれて嬉しい。おつかれさん。がんばったね、と言ってあげたい」と照れくさそうに話してくれた。
 普段は「顔が個性的」と茶化される尾籠、陸上のこととなると熱く何時間も語りだしてしまう。表情は少ないが、内に秘めた陸上への思いは人一倍だ。寡黙な表情で、淡々と走るその姿には日頃の大人しさとは違う静かに燃える雰囲気があった。

二日目
◆芦ノ湖→小田原中継所
◎晴天。まだ雪の残る芦ノ湖に青田享(2年)の姿はない。次々と各大学の選手がエントリーをしていく中、ゼッケンの確認をするため審判員からコールがかかっているのに現れてこない。どうしたものかと場内はどよめきだす。確認の順番を最後に回してもらってもなかなかこないのだ。駆け足でやっと現れた青田は審判員に怒られながらたすきを掛けてスタンバイをした。あやうく棄権になるとこだった。
14年ぶりの出場ならではのハプニングだが、腕をストレッチしながら落ち着いて青田はラインに構える。8時に出発したトップと9分12秒差でスタート。朝食で大好きな黒豆を食べ、椎名林檎の「幸福論」をフルエンドレスで聴き、スタートに備えた。緊張するそぶりはまるでみせなかったが、7区の木村には「笑顔だけ作って」たすきを託した。レース後「今日は70点くらい。ラスト3キロをロスしてしまったし、根本的な力不足を感じました」と語る。
 愛知豊川高校出身の青田は中学までバスケをやっていた。高校の監督に目をつけられ陸上を始めた。明大の入学式の自己紹介のときから、「箱根に行くのが夢」と言っていた青田。一昨年の予選会では、でれると思っていた箱根にでれず、自然と涙があふれ、ひたすら泣いてしまったという。何のために走るのかと聞くと「周りの期待にそえるため走っていく」と答えた。また「走っていく上でサボろうと思えばサボれるし自分で考えてやっていけなきゃいけない。それとあきらめないこと。自分で限界を感じたら終わり、それに近づいていくことが大事」といった。将来は小学校の先生になりたいそうだ、自分が一番影響を受けた人が先生だからだ。「お前は箱根にでるといい」と先生から言われたことも。親は「好きなことを好きにやれ、人としての道をはずすな」と出場が決まったときいったという
◆小田原中継所→平塚中継所
◎木村秀太朗(1年)は7区を16位で走った。中1まで野球をやっていたが一年上の先輩に影響され、陸上に転向した。広島県世羅高校から明大に入部するが初めはついていくのもしんどくて練習量の多さに貧血を起こしたという。高校時代は競り合いが少なかったが今は一人一人の意識が高い。「俺がやってやる」という人が多くまとまりがでてきた。「本番は楽しめればいい」とレース前語っていた。箱根を走る3日前、「7区決定!」とだけ書いて、ゼッケンの写真とともに、母親に携帯メールを送ったという。
◆平塚中継所→戸塚中継所
◎辻村充(3年)は小学校のころから箱根駅伝にでるのが夢だった。西コーチの元で走りたいと一般受験で明治へ入学。 
「今回の駅伝は支えてくれたすべての人への感謝の気持ちで走りました。来年もまた走りたい」。走り終わった後、「緊張はなかった。ただ、もう少し前で走れればよかったんですけどね。」と悔しさもあるが気持ちは前向きだ。入学以来貧血で苦労してきた。箱根の予選会では左ひざを痛めて試合には出ていない。会社をもすっぽかして当日応援にいらしていたご両親は「もう80%出られないかもと思っていた。感激です。」と辻村選手の変わりに気持ちを語ってくれた。憧れの舞台は現実に。4年となる来年は、何をつかむのか。
◆戸塚中継所→鶴見中継所
◎細井崇明(3年)は今年の夏までメンバー外だった。夏の合宿につれてもらえないかもしれないギリギリのところで合宿に参加した。その合宿で完全に化けたと西コーチはいう。宇都宮高校出身の細井は高校の時も中学の時もさほど強くなく、県大会にもでれないほどだった。「強い人とやりたい、環境が違うところで」ただそれだけの思いで入学してすぐ西コーチへとなんとか頼み込んでいれてもらった。
箱根常連大学では一般入試だと通常、競走部に入れない。明大では当時一番弱かったので強い人に迷惑をかけないよう練習を計画した。細井は下級生も競技の面では先輩だという。足を引っ張ることだけは避けたかったのでそれだけを守った。やりたくなくなったことは一度もない。いつでもやめれると思ってがむしゃらに練習をこなしているうちに今では「チームに必要な選手」と西コーチに言われるまでになった。高校とは別世界になった大学での日々を、「毎日が合宿みたい」と語る。あくまで「チームの迷惑にならないように」が基本の細井。走り終わったと「きつかったーー」という豪快な性格とは裏腹の謙虚さが目立った。
◆鶴見中継所→大手町
 箱根駅伝も盛り上がりが頂点に達する中、細井は佐藤に「お願いします」といって16位でたすきを渡した。細井がくるまで繰り上げスタートのたすきを結んでいた佐藤はようやく紫色の明治のたすきを身につけることができた。10人目、長い長い旅路の最後のランナーにたすきが渡った。
 佐藤は今回のメンバー唯一の4年生。明治の変化を全て見てきた。一昨年、朝練に出ないような、やる気のない部員は辞めていった。
 それまでの「頑張るのはバカ」という感じの重苦しい空気が変わり、学連選抜に先輩の重成英彰(現:中国電力)が選ばれ、箱根駅伝は少し身近になったものの、予選会のチーム順位は、なかなか上がらなかった。
 それでも順調にチームは成長。次々スポーツ推薦で入ってくる後輩の方がタイムがいい。そんな中、今の4年生は「練習で引っ張れない分、他の所で」と決めた。
 聞いてみると、何人もの後輩が「競技の目標は幸田さん、生活の目標は佐藤さん」と答えていた。幸田は「佐藤さんあっての競走部」と言う。幸田は「師匠」と佐藤を呼ぶ。もちろん半分は冗談、しかし、身近で尊敬できる先輩なのは間違いない。
 佐藤は「そんなことはない」というが、選手だけのミーティングなどで、選手同士で話をする場を作っていき結束を固める、その旗振り役だった。
 その4年生全体のがんばりが、今の明治大競走部を作った。自由な雰囲気と競技へのストイックさ。一般入試もスポーツ推薦も関係なしの温かい人間関係。それぞれが自分の良さでチームに貢献する。力以外のたくさんの要素も勝負を決める。
 10人のたすきがつい終わった。結果はシード権に遠く及ばず18位。10人のほとんどがレース後、「自分は甘かった、力がまだ足りない」という。西コーチも「よく走ってくれたが課題の残る走りだった。4年生にはおつかれさんといいたい。次は確固たる地位を築き、またこの地に戻りたい」と語る。箱根駅伝が終わったあと、OBと応援団と部員が集まって話をした。OBも応援団らも「完走してくれてありがとう。」と叫ぶ。監督の遠藤和生は最後にこういった「本当に長い14年だった。全ての人に支えられようやくここまでこられた。これからも甘えることなく西コーチと一緒にやっていきたい。ただひとつ、たすきがつながった。これだけでなにもいうことはない」。
 騒ぎが落ち着いた後、10区最後の走者佐藤に話しを聞いた、途中寒さで足を吊ったらしくまだ苦しそうな顔をしていた。「地獄だった。ああ、やっと着いたかっていうのが、正直なところだけど。無事、襷を運んで来れてみんなの顔が見えるとほっとした。緊張はなかったけれど大会に飲まれた。俺だけじゃなくみんな思っていた以上の力はだせなかった。」駅伝の魅力は?「駅伝って襷が全員つながってきて、ちょっと不思議な感じがする。普通のレースでは諦めることもあるけど、それができないっていうのが駅伝」レース後甘かったという選手がいるがどうだったか?「甘かった。なめてたとかそういうわけじゃないけど。なめてかかると痛い目に遭うなと思って、覚悟して行ったけど。やっぱり甘かったな。差があるなっていう感じがして」。
 大学で競技は辞めて就職する。「初めての経験みたいなものだから、僕らが礎になって、どんどん強くなっていって欲しい」10人の汗がしみこんだ襷が、来年につながるか。今年の箱根駅伝にはこんな明大の10人の顔があった。
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by campal-hakone | 2005-01-21 01:30

忘れられがちな二人

加藤です。

今回は忘れられがちな2人を取り上げましょう。

まず箱根駅伝のルールを復習。
16人のメンバーを登録

12月29日
10区間と4人の補欠を登録→ここで2人外される

当日
4人の補欠と選手の差し替え可能

でした。
今回は当初エントリーされましたが、外された2人のお話です。

大桃寛生(4年、東京、国学院久我山)→下の佐藤選手ゴールの写真で、佐藤選手後ろの人
 陸上をやっていて、つらいことは毎日だという。しかし今回の箱根出場と全国高校駅伝ヘの出場はいい思い出になっているという。そんな陸上を始めたのは中学時代。初めは遊びみたいなもので続ける気はあまり無かった。なんとなく陸上を続けてきた。陸上を始めて10年になるので、今回の箱根を区切りに選手をやめるつもりだ。次の10年ではまた違うことに打ち込んでいきたいとのこと
 そんな大桃さんが明治を選んだのは、強いチームではないからだ。「だって、強いチームでつぶれるよりはいいじゃないか」とボソッと話す。
寮暮らしをしていると、人の悪いところも見ることは多い。しかしそこから人間関係も学んだ。競技だけでなく生活もいい思い出になっている。
大学では教員免許も取得している。きっかけは1年のときもっと勉強したかったからだ。「ホントですよ。取材用の答えじゃなくて」と笑う。卒論は「フランスの移民問題」だそうだ。
自分の持ち味は試合では大崩れしないこと。チーム全体を考える、上級生の姿がそこにあった。

藤田秀之(1年、栃木、大田原高)
小3くらいから陸上を始めた。明治を選んだ理由は高校時代に大学の合宿に参加させてもらって内容を知っていたし、これから伸びていく大学だと感じていたからだという。高校時代は全国駅伝には出られなかったので、是非大学では大舞台に立ちたいとのこと。練習は基本的に高校時代と量は変わらないが、質は高くなっている。「一人で走るより駅伝はチームプレーなので、より大きな力が出る。」という。エースの幸田選手は誰にも負けないガンバリがあるので競技の面では尊敬している。
「自分は登録されたけど、多分走りませんよ」とも謙遜する。電話番の当番をしながら話をうかがった。一年生だがしっかりとした電話の対応には感心した。今後の活躍を期待する。

選手の影にこんな人も居ます。忘れないでくださいな。
また次回をお楽しみに
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by campal-hakone | 2005-01-20 01:26

閉会式

佐原亮です。
閉会式は今年は東京ドームホテルで行われました。=1月3日
来年はどんな「箱根駅伝」が待っているのだろう。
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大手町ゴール直後の佐藤選手
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by campal-hakone | 2005-01-20 00:52

遅くなってしまいました。

渡邉栄一です。箱根駅伝は復路の大手町にずっといました。
記事の反省としては選手や大学の関係者との接触が不十分だったこと、その結果として選手等のコメントがほとんど取れなかったことです。記事を書く段階になってあの人にこういう話を聞いておけば良かった、この人にインタビューしておくべきだったなどの後悔が出てきました。結果として出来た記事は事前取材で得た情報と選手のコメントが入っていない風景を切り取った主観的なものになってしまいました。もっと記事を書くことを想定した取材が出来ていればと思いました。あと積極性も必要でしたね。来年も箱根駅伝の取材に参加できればと考えているのでこの反省を次回に生かしたいと思います。

◎大手町復路
早朝の静けさとは打って変わった復路ゴール直前の大手町。明治大学の陸上部員達は熱気あふれる大手町ゴール付近に集まり始めていた。1位の駒澤大学がゴールしてから20数分後、部員達は並んでアンカーの佐藤慈選手(4年)を出迎えた。佐藤選手を抱えあげたのはキャプテンの入山卓司さん(4年)とエースの幸田高明さん(3年)の2人。▼佐藤選手と入山キャプテンはともに一般入試組で1年間の浪人生活のあと、明治大学へと入学した。互いに競争部へ入部し、練習に打ち込んできた仲である。2人が競争部へ入部した当初、チームの意識は低かった。そうした雰囲気を打破するべく自主的にミーティングを始めたのが佐藤選手である。佐藤選手は生活面で入山キャプテンはチームの柱として明治大学競争部を支えてきた。佐藤選手は箱根を走り、入山キャプテンは箱根を走れなかったもののゴール時に佐藤選手に投げかけられた入山キャプテンの笑顔を見ていると複雑な心境と同時に4年間頑張りぬいてきた友への思いを垣間見た気がする。▼佐藤選手を抱えあげたもう一人の幸田選手も笑顔だった。その笑顔からは先輩への労いと同時に後は任せろという力強さが感じられた。

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ご意見、ご感想などありましたらよろしくお願いします。
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by campal-hakone | 2005-01-18 10:39

戸塚中継所

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佐原亮です。
こちらは戸塚中継所です。さぁ、選手が近づいてきました。8区を走った辻村選手から9区の細井選手へとタスキがつながります。
というわけで、紙面でお見せすることのできなかった戸塚中継所の様子もアップしてきます。
お楽しみに!!

◎高校時代の先輩の応援
 戸塚中継所。9区を走るためアップをする細井嵩明さんを見守る高校時代の先輩の姿があった。宇都宮高校出身で現在、同志社大に通う川俣隆さん(3年)だ。高校時代の仲間たちと応援に駆けつけた。
「高校のときにどうしても箱根に出たいと言っていた」。しかし決して高校時代の細井さんは目立つ選手ではなく選手としては無名だった。「中学時代は速かったけど、高校は伸び悩んでいたね」。明大にも一般入試で入った。「正直、箱根はちょっと無理なのではと思ったけど、3年間、練習したんでしょうね」。アップの途中、先輩の姿を見つけた細井さんは嬉しそうだった。「がんばってね」と声をかける先輩。「ありがとうございます」。細井さんはスタートの準備に取り掛かった。=写真

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そしてタスキがつながった。
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辻村選手お疲れさま。
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by campal-hakone | 2005-01-18 01:17

箱根原稿

波多野です。遅くなりました。箱根原稿です。写真は後日まとめてアップします。

記事を書いている時、「こんなことも聞くべきだった」と度々感じていました。どんな記事を書きたいかなどをある程度計画してインタビューするべきだったと思います。計画性に欠けていたなと反省しています。次回につなげたいです。

◎5区 尾籠選手とご両親
 「かっこわるいからやめとけ」。五区を走った尾籠浩考選手が中学の陸上部に入ると言った時、父はこう言った。小学校の運動会でいつも遅かったからだ。結局、体を丈夫にするために陸上部に入部した。
 明治大学には西コーチの誘いで入学。自分を必要とされ、やりがいがあると感じた。彼の走りの特徴は、長い距離になるほど得意だということ。箱根駅伝の看板区間、通称「山登り」の五区を力強く走り抜いた。走った後すぐに西脇工業高校の恩師に電話した。「緊張はしていなかった。池辺には、襷を渡されたとき、頼むぞと言われた。力はたりず、自分は甘かった。箱根の中では速くないことを思い知った。基本的な走力が足りないと感じた」と悔しそうな表情を見せた。日ごろはおとなしい性格だが、駅伝やチームの在り方についてついては長時間熱く語ると言う。
 陸上を初めて八年、箱根駅伝の舞台に立つ息子をみて父は、「順調に育ってくれて嬉しい」と笑顔で言う。母にとって尾籠選手は優しい話し相手。「おつかれさん。がんばったね、と言ってあげたい」と少し照れくさそうに話してくれた。

◎青田選手の友達
 「青田くんお疲れさま」。6区を走り終えた2年青田享選手に、大学で同じクラスの友達6人が次々と声をかけた。埼玉、愛知、神奈川、千葉など各地から応援に駆けつけた。「応援に来るのは昔からの約束だったんです」と満面の笑み。青田選手は入学式の自己紹介のときから、「箱根に行くのが夢」と言っていたという。友達から見た普段の青田選手は、物静かでストイックな感じ。「青田君の内に秘めた激しさを見た」「かっこよかった」など、終始笑顔で感動を伝えてくれた。
 母は元陸上部、父も昔から駅伝好き。六区を走ることは確定していなかったが、朝三時に愛知の自宅を出て応援に駆けつけた。走っている間は「やっぱり見ているとハラハラする」と少し不安気な表情だったが、走り終えた青田選手を晴れやかな笑顔で迎えていた。
 青田選手は「強い選手に少しでも追いつきたい」と日々の練習に励んできた。「速くなるには限界を作らないこと」だと彼は言う。12月、「箱根駅伝は応援してくれる方への恩返しの場」と言っていた。この日の友達や両親の笑顔を見て、彼の思いは通じたと確信した。

◎小蔦ゆう子マネージャー
 神奈川県小田原出身。昔から箱根駅伝を見ていていつか携わりたいと思っていた。小蔦ゆう子さんの通う日本大学は女子マネージャーをとらない。明治大学の西コーチが日本大学の出身だと聞き、何かの縁を感じ、明治大学競争部のマネージャーになった。
 二日、四時起きで大手町に向かった。一区を走る前の岡本選手はいつもどおり冷静な様子だったと言う。その後、五区を走る尾籠選手を迎えるため芦ノ湖に向かった。「尾籠君は一、二を争う頑張り屋さん。頑張って結果をだしてほしい。走った後はお疲れさま、と声をかけたい」と言っていた。選手たちを見ていていつも思うことは「しっかりしなきゃ」ということ。「緊張していると思うので、万全の環境を整えてサポートできるようにしたい」と緊張感のあるまっすぐな瞳で語った。

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感想などありましたら、お願いします。
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by campal-hakone | 2005-01-18 00:23

遅くなりましたが原稿です

明治大学の山口です。

往路・復路ともに鶴見、2日は小田原のOB応援団の取材にも行ってきました。
事前取材に参加できなかったので、選手の記事はどうしても薄いものとなってしまいました。OB応援団の方は自分の力がなかったので書ききれなかったという感じですね…。もっと臨場感が出せればよかったのですが。
初めて書いたのでヒドイと思いますが、投稿いたします。

というわけで、以下原稿です。


◎明治大学校友会小田原地域支部

 10本の紫紺の幟が小田原本町交差点付近に立っている。袴姿の応援団長を中心に選手到着の1時間ほど前から校歌・応援歌の大合唱が起こっていた。母校の箱根出場を心待ちにしていた、明治大学校友会小田原地域支部の応援団だ。4区の池邉選手が苦しい表情で応援団の差し掛かると、「明治!明治!」の大声援。盛り上がりは最高潮に達した。
 小田原地域支部では、箱根駅伝に復活できるように大学当局への働きかけや資金面での援助を行ってきた。また会員や現役学生、地域との交流を図るために大学からマンドリン部を招き、毎年コンサートを開催している。コンサートは今年で47回目。立ち見の客が出るほどの盛況ぶりだという。そのためOB会の結束は非常に固い。「ここのOB会は結束力が一番の自慢なんです」と幹事長の加藤寛さんも語る。14年ぶりの出場にもかかわらず、応援への体制は自然と整えられていった。
 箱根出場に際してOB会では応援団の結成を企画。幟も注文したし、毎年応援できるようにと小旗も作成した。また会員だけでなく多くの校友と共に応援したいとの思いから、タウン誌でも応援の参加を呼びかけた。当日は現役学生、OBの家族・友人までもが集まり、予想以上に賑やかな応援が繰り広げられた。寒さ対策のために甘酒も振舞われた。「何十年ぶりに会う校友や現役の学生たちが大勢応援に来てくれたのは本当にありがたい」と加藤幹事長は語る。
 もちろん、選手への激励の言葉も忘れない。「来年・再来年と紫紺のたすきをつないで頑張ってほしい」(加藤幹事長)。その優しいまなざしの奥からは、愛校心と箱根への強い思いが伝わってきた。


◎9区
◎細井 崇明選手(政治経済学部3年)

 「力が足りなかったですね」。9区を走り終えた細井崇明選手(政治経済学部3年)の最初の一言だ。げんかつぎである青い靴下を履いて臨んだが、満足のいく結果は残せなかったようだ。
 そして電車で仲間が待つ大手町へ。駅の売店で買ったカルピスを飲みながら「やっぱり糖分を採らないと。でも飲みすぎるとお腹にきそう」。どんなに疲れていても、体への気遣いは忘れない。
 駅の階段では体を横にしなければ下りられないほど疲れきっていたはずなのに、大手町が近づくにつれて体が軽くなっていくように見えた。やはり“仲間”という存在がそうさせるのだろう。駅伝という競技の魅力がこんなところからも伝わってきた。

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以上です。感想などぜひお願いします。
写真はデジカメではないのでアップできないです、ごめんなさい…。
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by campal-hakone | 2005-01-17 19:34

小田原中継所は楽しかったです。

土屋です。往路、復路とも小田原中継所を担当しました。

往路で今井さんとOBの方の取材をしたとき、とても喜んでくださり
たこ焼きまでいただいてしまいました(笑)
すべての選手が通過してからも、
2時間くらいは事後取材をしていたと思います。
いろんな方がいて、色んな話が聞けた中継所でした。


さて、掲載はされませんでしたが記事をアップします。
7区の木村さんについては、走る前で話が聞けなかったので、
事前取材をもとに書いてあります。


◎箱根駅伝
◎小田原中継所
◎松本ゼミOBの応援


「ゼミでは、正しいタコ焼きの作り方を教えてもらいました」。そう笑うのは、松本穣競走部部長の第一期ゼミ生、土屋克實さん(50)と、奥山健一さん(49)の家族ら6名。奥山さんは、グァム旅行をキャンセルして、大島から応援に駆けつけた。

 毎年、予選会から応援に駆けつけている。惜しくも箱根を逃した去年の予選会も見ている分、応援にも熱が入る。ちょうどお昼時、ビールも三杯目。
 箱根出場が決まると、奥山さんはさっそく、大学のホームページから応援グッズを注文した。土屋さんも、自宅のある熱海から大学までグッズを買いにいったが、売り切れ。しかし、ゼミ生同士で連絡を取り合い、グッズを揃え、当日の応援に臨んだ。
 交通の便のよさから、小田原中継所を選んだ。「最初は小涌園のカーブで応援しようと思ったんだけどね」。あとで、山梨からもゼミ生の応援が駆けつけるという。小田原中継所は、再会の場でもある。

 土屋さんの携帯電話には、西コーチがデザインした、関係者限定ストラップがついている。勤めている会社のスポーツ用品を、競走部に贈ったときのお礼だという。「仲人も務めてもらったし、松本部長は兄貴分のような存在。これからももちろん応援しますよ。来年はぜひ、シード権を取って欲しいなぁ」。OBの期待も、熱い。

◎4区
◎池邊 稔選手(商学部商学科2年)

「せっかく応援していただいたのに、ふがいない」。5区の尾籠選手にたすきを託したあと、泣き崩れた。
 5キロもいかないうちに、左の腰から左全体が重く感じ始めた。残り5キロでさらにきつくなったが、「明治の旗にとても励まされた」。
 緊張しすぎて、ユニフォームのMの文字を押さえるげんかつぎも忘れてしまった。「正直、休みたいけれど、次はもう始まっている」。狙うは2月の千葉クロカン優勝だ。


◎6区
◎青田 享選手 (文学部史学地理学科)
 両親には、「6区を走る」と、一言も言わなかった。しかし、「走らないとは言ってなかったので(父の晴稔さん)」。と、家族は午前3時に実家の愛知を出発、応援に駆けつけた。
 朝食では大好きな黒豆を食べ、椎名林檎の「幸福論」をフルエンドレスで聴き、スタートに備えた。7区の木村選手には「笑顔だけ作って」たすきを託した。「今日は70点くらい。ラスト3キロをロスしてしまったし、根本的な力不足を感じました」。

◎7区
◎木村 秀太朗選手(文学部史学地理学科)
箱根を走る3日前、「7区決定!」とだけ書いて、ゼッケンの写真とともに、母親に携帯メールを送った。
長距離を始めたのは中学一年から。所属していた野球のクラブチームへの体力づくりが目的だった。しかし、本格的に陸上を始めた中学3年で全国大会に出場。陸上の道へ進む。そのころから、試合前にはバナナを必ず食べている。
 シード権をとるのが目標であるが、まずは経験をつんで楽しみたいと話す。「自分の走りの強みは何ですか?」と聞くと、すかさず「粘り強いところです」。と答えた。

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以上です。ご意見、感想などをいただければ、と思います。
よろしくお願いいたします。

なお、手違いで撮った写真をすべて消去してしまいました・・・。
すみません。
他のメンバーもデジカメを持っているので、他の区の写真を載せてもらおうと思います。
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by campal-hakone | 2005-01-16 02:18