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箱根原稿

波多野です。遅くなりました。箱根原稿です。写真は後日まとめてアップします。

記事を書いている時、「こんなことも聞くべきだった」と度々感じていました。どんな記事を書きたいかなどをある程度計画してインタビューするべきだったと思います。計画性に欠けていたなと反省しています。次回につなげたいです。

◎5区 尾籠選手とご両親
 「かっこわるいからやめとけ」。五区を走った尾籠浩考選手が中学の陸上部に入ると言った時、父はこう言った。小学校の運動会でいつも遅かったからだ。結局、体を丈夫にするために陸上部に入部した。
 明治大学には西コーチの誘いで入学。自分を必要とされ、やりがいがあると感じた。彼の走りの特徴は、長い距離になるほど得意だということ。箱根駅伝の看板区間、通称「山登り」の五区を力強く走り抜いた。走った後すぐに西脇工業高校の恩師に電話した。「緊張はしていなかった。池辺には、襷を渡されたとき、頼むぞと言われた。力はたりず、自分は甘かった。箱根の中では速くないことを思い知った。基本的な走力が足りないと感じた」と悔しそうな表情を見せた。日ごろはおとなしい性格だが、駅伝やチームの在り方についてついては長時間熱く語ると言う。
 陸上を初めて八年、箱根駅伝の舞台に立つ息子をみて父は、「順調に育ってくれて嬉しい」と笑顔で言う。母にとって尾籠選手は優しい話し相手。「おつかれさん。がんばったね、と言ってあげたい」と少し照れくさそうに話してくれた。

◎青田選手の友達
 「青田くんお疲れさま」。6区を走り終えた2年青田享選手に、大学で同じクラスの友達6人が次々と声をかけた。埼玉、愛知、神奈川、千葉など各地から応援に駆けつけた。「応援に来るのは昔からの約束だったんです」と満面の笑み。青田選手は入学式の自己紹介のときから、「箱根に行くのが夢」と言っていたという。友達から見た普段の青田選手は、物静かでストイックな感じ。「青田君の内に秘めた激しさを見た」「かっこよかった」など、終始笑顔で感動を伝えてくれた。
 母は元陸上部、父も昔から駅伝好き。六区を走ることは確定していなかったが、朝三時に愛知の自宅を出て応援に駆けつけた。走っている間は「やっぱり見ているとハラハラする」と少し不安気な表情だったが、走り終えた青田選手を晴れやかな笑顔で迎えていた。
 青田選手は「強い選手に少しでも追いつきたい」と日々の練習に励んできた。「速くなるには限界を作らないこと」だと彼は言う。12月、「箱根駅伝は応援してくれる方への恩返しの場」と言っていた。この日の友達や両親の笑顔を見て、彼の思いは通じたと確信した。

◎小蔦ゆう子マネージャー
 神奈川県小田原出身。昔から箱根駅伝を見ていていつか携わりたいと思っていた。小蔦ゆう子さんの通う日本大学は女子マネージャーをとらない。明治大学の西コーチが日本大学の出身だと聞き、何かの縁を感じ、明治大学競争部のマネージャーになった。
 二日、四時起きで大手町に向かった。一区を走る前の岡本選手はいつもどおり冷静な様子だったと言う。その後、五区を走る尾籠選手を迎えるため芦ノ湖に向かった。「尾籠君は一、二を争う頑張り屋さん。頑張って結果をだしてほしい。走った後はお疲れさま、と声をかけたい」と言っていた。選手たちを見ていていつも思うことは「しっかりしなきゃ」ということ。「緊張していると思うので、万全の環境を整えてサポートできるようにしたい」と緊張感のあるまっすぐな瞳で語った。

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感想などありましたら、お願いします。
# by campal-hakone | 2005-01-18 00:23

遅くなりましたが原稿です

明治大学の山口です。

往路・復路ともに鶴見、2日は小田原のOB応援団の取材にも行ってきました。
事前取材に参加できなかったので、選手の記事はどうしても薄いものとなってしまいました。OB応援団の方は自分の力がなかったので書ききれなかったという感じですね…。もっと臨場感が出せればよかったのですが。
初めて書いたのでヒドイと思いますが、投稿いたします。

というわけで、以下原稿です。


◎明治大学校友会小田原地域支部

 10本の紫紺の幟が小田原本町交差点付近に立っている。袴姿の応援団長を中心に選手到着の1時間ほど前から校歌・応援歌の大合唱が起こっていた。母校の箱根出場を心待ちにしていた、明治大学校友会小田原地域支部の応援団だ。4区の池邉選手が苦しい表情で応援団の差し掛かると、「明治!明治!」の大声援。盛り上がりは最高潮に達した。
 小田原地域支部では、箱根駅伝に復活できるように大学当局への働きかけや資金面での援助を行ってきた。また会員や現役学生、地域との交流を図るために大学からマンドリン部を招き、毎年コンサートを開催している。コンサートは今年で47回目。立ち見の客が出るほどの盛況ぶりだという。そのためOB会の結束は非常に固い。「ここのOB会は結束力が一番の自慢なんです」と幹事長の加藤寛さんも語る。14年ぶりの出場にもかかわらず、応援への体制は自然と整えられていった。
 箱根出場に際してOB会では応援団の結成を企画。幟も注文したし、毎年応援できるようにと小旗も作成した。また会員だけでなく多くの校友と共に応援したいとの思いから、タウン誌でも応援の参加を呼びかけた。当日は現役学生、OBの家族・友人までもが集まり、予想以上に賑やかな応援が繰り広げられた。寒さ対策のために甘酒も振舞われた。「何十年ぶりに会う校友や現役の学生たちが大勢応援に来てくれたのは本当にありがたい」と加藤幹事長は語る。
 もちろん、選手への激励の言葉も忘れない。「来年・再来年と紫紺のたすきをつないで頑張ってほしい」(加藤幹事長)。その優しいまなざしの奥からは、愛校心と箱根への強い思いが伝わってきた。


◎9区
◎細井 崇明選手(政治経済学部3年)

 「力が足りなかったですね」。9区を走り終えた細井崇明選手(政治経済学部3年)の最初の一言だ。げんかつぎである青い靴下を履いて臨んだが、満足のいく結果は残せなかったようだ。
 そして電車で仲間が待つ大手町へ。駅の売店で買ったカルピスを飲みながら「やっぱり糖分を採らないと。でも飲みすぎるとお腹にきそう」。どんなに疲れていても、体への気遣いは忘れない。
 駅の階段では体を横にしなければ下りられないほど疲れきっていたはずなのに、大手町が近づくにつれて体が軽くなっていくように見えた。やはり“仲間”という存在がそうさせるのだろう。駅伝という競技の魅力がこんなところからも伝わってきた。

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以上です。感想などぜひお願いします。
写真はデジカメではないのでアップできないです、ごめんなさい…。
# by campal-hakone | 2005-01-17 19:34

小田原中継所は楽しかったです。

土屋です。往路、復路とも小田原中継所を担当しました。

往路で今井さんとOBの方の取材をしたとき、とても喜んでくださり
たこ焼きまでいただいてしまいました(笑)
すべての選手が通過してからも、
2時間くらいは事後取材をしていたと思います。
いろんな方がいて、色んな話が聞けた中継所でした。


さて、掲載はされませんでしたが記事をアップします。
7区の木村さんについては、走る前で話が聞けなかったので、
事前取材をもとに書いてあります。


◎箱根駅伝
◎小田原中継所
◎松本ゼミOBの応援


「ゼミでは、正しいタコ焼きの作り方を教えてもらいました」。そう笑うのは、松本穣競走部部長の第一期ゼミ生、土屋克實さん(50)と、奥山健一さん(49)の家族ら6名。奥山さんは、グァム旅行をキャンセルして、大島から応援に駆けつけた。

 毎年、予選会から応援に駆けつけている。惜しくも箱根を逃した去年の予選会も見ている分、応援にも熱が入る。ちょうどお昼時、ビールも三杯目。
 箱根出場が決まると、奥山さんはさっそく、大学のホームページから応援グッズを注文した。土屋さんも、自宅のある熱海から大学までグッズを買いにいったが、売り切れ。しかし、ゼミ生同士で連絡を取り合い、グッズを揃え、当日の応援に臨んだ。
 交通の便のよさから、小田原中継所を選んだ。「最初は小涌園のカーブで応援しようと思ったんだけどね」。あとで、山梨からもゼミ生の応援が駆けつけるという。小田原中継所は、再会の場でもある。

 土屋さんの携帯電話には、西コーチがデザインした、関係者限定ストラップがついている。勤めている会社のスポーツ用品を、競走部に贈ったときのお礼だという。「仲人も務めてもらったし、松本部長は兄貴分のような存在。これからももちろん応援しますよ。来年はぜひ、シード権を取って欲しいなぁ」。OBの期待も、熱い。

◎4区
◎池邊 稔選手(商学部商学科2年)

「せっかく応援していただいたのに、ふがいない」。5区の尾籠選手にたすきを託したあと、泣き崩れた。
 5キロもいかないうちに、左の腰から左全体が重く感じ始めた。残り5キロでさらにきつくなったが、「明治の旗にとても励まされた」。
 緊張しすぎて、ユニフォームのMの文字を押さえるげんかつぎも忘れてしまった。「正直、休みたいけれど、次はもう始まっている」。狙うは2月の千葉クロカン優勝だ。


◎6区
◎青田 享選手 (文学部史学地理学科)
 両親には、「6区を走る」と、一言も言わなかった。しかし、「走らないとは言ってなかったので(父の晴稔さん)」。と、家族は午前3時に実家の愛知を出発、応援に駆けつけた。
 朝食では大好きな黒豆を食べ、椎名林檎の「幸福論」をフルエンドレスで聴き、スタートに備えた。7区の木村選手には「笑顔だけ作って」たすきを託した。「今日は70点くらい。ラスト3キロをロスしてしまったし、根本的な力不足を感じました」。

◎7区
◎木村 秀太朗選手(文学部史学地理学科)
箱根を走る3日前、「7区決定!」とだけ書いて、ゼッケンの写真とともに、母親に携帯メールを送った。
長距離を始めたのは中学一年から。所属していた野球のクラブチームへの体力づくりが目的だった。しかし、本格的に陸上を始めた中学3年で全国大会に出場。陸上の道へ進む。そのころから、試合前にはバナナを必ず食べている。
 シード権をとるのが目標であるが、まずは経験をつんで楽しみたいと話す。「自分の走りの強みは何ですか?」と聞くと、すかさず「粘り強いところです」。と答えた。

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以上です。ご意見、感想などをいただければ、と思います。
よろしくお願いいたします。

なお、手違いで撮った写真をすべて消去してしまいました・・・。
すみません。
他のメンバーもデジカメを持っているので、他の区の写真を載せてもらおうと思います。
# by campal-hakone | 2005-01-16 02:18

採用されなかったけど・・・原稿です

横浜市立大の今井美津子です。
今日、ついに掲載でしたね。紙面になって読むとなんかこう・・・あの時の思いがよみがえるというか。そしてまた改めて大手町に行けなかったことが悔しくなりました。はぁぁ。

ということで私の書いた原稿をアップします。残念ながら今回は採用されませんでしたが・・・。私の文章力が足りないということで。。。

以下原稿です。


◎小田原中継所

元マネージャーたちに声をかけられたとたん、4区を走り終えた池邉稔選手の目元か
ら涙が溢れた。「たくさん応援してもらったのにいい走りができなかった」とつぶや
いた。

3区を走ってきた田中文昭選手から「頼むぞ」と言われタスキをわたされた。初めは
前の選手についていこうと思ったが、思うように体が動かなかった。「5キロメート
ルもいかないうちに左半身が重く感じた」。小田原中継所、14位で尾籠浩考選手にタ
スキをつないだ。かけた言葉は自分がかけられた言葉と同じ「頼むぞ」。タスキとと
もにつながってきた思いもつないだ。

選手用テントでダウンをすませた池邉選手の周りには多くの人が集まり、人垣ができ
ていた。「明大、よくやった」「頑張った、お疲れ様」と声が飛び交う。14年ぶり出
場の明治大を応援する声は少なくない。その人垣の中から一人の男性が池邉選手にサ
インを求めた。野上忠喜さん(63)は10年前の71回大会から毎年、相模原市の自
宅から小田原中継所まで観戦にきている。毎年2、3人の選手からサインをもらい、
家にはすでに25枚ものサインがある。今年は拓殖大・加藤健一朗選手、法政大・中村
洋輔選手、そして明治大池邉選手のサインを手に入れた。池邉選手からサインをも
らったのは、明治大が14年ぶりに出場することで注目していたから。これ以前にも、
池邉選手のホームページから励ましのメールを送るなど、明治大を応援していた。野
上さんは選手のサインを手に入れ、「最後まで全力で頑張ってほしい」と満足そうに
語った。

元明治大競争部マネージャーの倉田絵里香さん(24)、小口晴子さん(23)、古
賀理絵さん(23)は、走り終えた池邉選手をねぎらった。倉田さんら3人は大手町
のスタートから各区間で選手に声援を送り、小田原までやって来た。「出場が決まっ
た時、最初は信じられなかった」。あらかじめ今年のチームは調子がいいとは聞いて
いたが、「どこまでできたら予選通過できるのか誰もわからなかったから実感できな
かった」のだ。毎年予選は二桁順位が当たり前のチームが、今年は違った。以前は練
習をサボるのは当然のことだった。それが西駅伝監督の就任で、徐々に雰囲気や体制
が変わり、気づいた頃には着実に強くなってきていたという。そしてついに、念願の
箱根出場を果たした。箱根路を走る後輩たちを見る目は、まるで我が子を見るよう。
「どんな順位でも、走っているだけでうれしい」。2日目の復路も、小田原中継所か
ら大手町のゴールまでの各区間で「我が子」たちに声援を送った。
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感想などありましたらお願いします。
それにしても往路の小田原はいろいろ話が聞けておもしろかったです。ね、みすずさん?
# by campal-hakone | 2005-01-16 00:13

筒井彩乃です。

本日、「箱根駅伝」の記事が毎日新聞夕刊関東版に掲載されます。

明治大学の皆様、ご協力ありがとうございました。
また取材班の方々、大変お疲れ様でした。

箱根を生で見たのは初めてでした。
人の熱気、そして思いがあふれ出している現場を歩き、ただただ圧倒されてばかりでした。
これだけの多くの人々の思いが集まったレースを体験することは今までありませんでした。
箱根を走ることの偉大さを改めて、思い知りました。

10日ほど経ち振り返ってみると、もっと明治大学の皆さんにとって近い存在になれればよかったなぁ。と感じています。もっと自分から動くべきであったと思います。事前取材などでももう少し、前に出ていられたらなぁと感じています。

当日はなぜか私が緊張していました。レース前後などは声をかけてはいけないと思いながらも、じっとしておられず会場を歩き回っていたので、おそらく邪魔だったと思います。失礼しました。

またそんな私が行うインタビューなどにも、暖かく答えてくださった明治大学の皆様には感謝をしております。ご協力本当にありがとうございました。
# by campal-hakone | 2005-01-15 03:07